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●7月7日 幻のジャケット「レイン・ステイション」を追加

●7月6日 瞑想雑誌「週刊明星」1972年4月21日号を追加

●7月6日 ブログ「1973年1月1日=恋する夏の日」を投稿

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1973年7月1日=恋する夏の日

2019年も早いもので後半7月がスタートした。7月と言えば表題でおわかりの通り「恋する夏の日」が発売された時期である。

「ちいさな恋」「ひとりじゃないの」「虹をわたって」 まで連続3曲がオリコン1位を獲得した。その後の「ふたりの日曜日」が何故か3位で止まった。

ふたりの日曜日は作曲が平尾昌晃で、ひとりじゃないの、虹をわたっては、作曲 森田公一である。まさか大作曲家の平尾昌晃で3位は意外であった。

平尾昌晃と言えば当時の最大のライバル、小柳ルミ子の専任作曲家である。デビュー曲の「わたしの城下町」以降6曲目の「漁火恋唄」まで平尾作品が続くのだ。そんな中、小柳ルミ子の7曲目があろう事か真理ちゃんのヒット曲連発の森田公一作曲「春のおとずれ」になっているのだ。あえてこの時期に作曲家を逆の組み合わせにしたのだ。春のおとずれの最高順位は4位。

その後の曲では天地真理/若葉のささやき(作曲/森田公一)小柳ルミ子/恋にゆれて(作曲/平尾昌晃)に戻し、真理ちゃんの場合はオリコン1位に復帰をはたす。

当然、若葉のささやきの後の曲も安全パイの森田作品になった。夏だから夏の代表作品を目指す曲をで作られたのであろう。「恋する夏の日」の誕生である。

当時、恋する夏の日には何の疑問もなく受け入れていたし、天地真理の代名詞と言うと多くの人は「恋する夏の日」と答えるだろう。ここでの選曲はその後の天地真理の曲調スタイルを決めてしまったような気がした。少なくとも恋する…以前の曲は 只々明るいだけの曲ではなく何処か憂いを秘めた夢の世界感があった気がする。

ふたりの…以降、若葉…恋する… が1位になった事が、その次の曲「空いっぱいの幸せ」につながってしまうのでもあった。まだ前曲の恋する…の余韻がある中、次ぎも安定路線の森田作品。ここまでは良いが曲調が大失敗だった。

物悲しい秋に夏のままの曲調で勝負をかけてしまったのだ。曲が短調の作品であっても 若葉…の様な爽やかな曲も有るのだから人気におんぶの空いっぱい…は何処か安直に見えてしまったのだ。以前にも書いたがB面の「もの想う季節」が急遽予定のA面からB面に格下げされた理由が不明なまま歳月だけが過ぎ去った。

TBS「とび出せ!真理ちゃん」新番組予告編のBGMでこの もの想う…が使用されていたくらいなのだから当然A面は一旦決まっていたことなのだ。それが急遽B面に格下げ。作品の完成度は明らかに もの想う…の方が圧倒しているのに。

今後のA面曲以上にこの作品は優れているしかし一度A面ボツの曲が再度A面になることはなかった。

天地真理という歌手の未来の方向性を変えてしまったこの「恋する夏の日」「空いっぱいの幸せ」が天地真理の分岐点となったことは明らかなような気がする。

安定路線で良い曲がボツにされ将来を変えてしまったとしたら、その判断は正しかったのだろうか当時のスタッフに話を聞くことは出来ないものだろうか。

2019.7.6

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愛ってなんだろ

1973年 渡辺プロ・松竹作品

監督:広瀬襄 脚本:田波靖男

配役:浅見麻里子(天地真理) 河内俊二(森田健作) ほか

■解 説 朝日のように爽やかで明るく、楽しい娘を中心に、若者たちの、夢や仕事や恋を描く明朗青春ドラマ。脚本は「喜劇 泥棒大家族 天下を取る」の田波靖男、監督は新人広瀬襄、撮影は「男はつらいよ 寅次郎夢枕」の高羽哲夫がそれぞれ担当。

 ■ストーリー

 浅見麻里子は、おもちゃメーカーのデザイナーで、会社のフォーク・バンドで歌のリーダーもしている。専務の息子の青木がしつこく麻里子を誘うが、麻里子は企画部に新入社した河村俊二に好意を抱いていた。
だが、俊二は音楽嫌いで、そのことでいつも麻里子と衝突していた。麻里子の父才太郎は洋菓子店を経営しているが、男ヤモメの寂しさで、小料理屋のおかみ・志津に中年男の恋を燃やしていた。

また、ケーキ職人の平吉も秘かに麻里子に思いを寄せていた。新製品開拓会議の席上、俊二は、素朴で心のこもったおもちゃを、と熱弁し、認められた。
そして、そのデザインは麻里子がすることになった。だが、麻里子のデザインに俊二はなかなかOKを出さなかった。

そんなある日、青木といやいや山奥にドライブにでかけた麻里子は、道端のお地蔵さんの顔にひと目惚れして夢中でスケッチした。この麻里子の自信作は俊二に気に入れられ、早速製作に取りかかる段取りとなった。

(以上「映画.com」様より引用。 提供:株式会社キネマ旬報社 )

©渡辺プロダクション 松竹

私数年前、大阪から東京まで出向き劇場で拝見していましたが2019年にテレビ初放送があまりにも遅かったですね。HDリマスターでの放送でしたが投稿にあたり画面上のノイス、ゴミなどは更に除去いたしました。

※著作権を侵害している場合は即座に削除いたします。※皆様へ予告無しに非公開にする場合があります。

天地真理、1970年デビュー前夜祭

デビュー当初の様子をリアルタイムで体感していない私は、1973年のピーク時からしか記憶が有りません。

知らないことも今ではネットの力で疑似体験できる様になり有り難い限りです。

1970年 4月「中里音楽事務所」に所属(同年11月には契約破棄)。 11月5日「第2回 ぽピューラーソングコンテスト」(当時は「’70作曲コンクール」という名称)1部と2部があり、1部に「 OTHERWISE 」という曲を披露した。(エントリーの際の氏名「斉藤マリ」)いみじくも「水色の恋」の原曲「小さな私」(歌唱:藤田とし子)も同じ1部で披露されている。

このコンテストの資料によると後に大いに関わることになす作曲家の名前が審査員の表記にある。 鈴木 邦彦・川口 真・森岡 賢一郎 3名である。特に森岡賢一郎氏は後に「水色の恋」の編曲を担当している。

天地真理にとってこのコンテストへの参加がデビューへの大きなきっかけへとつながってゆく。

ここで「中里音楽事務所」を調べてみた。ウキペディアでは、1970年4月に所属と有るが中里音楽事務所のホームページには1970年7月設立とある、どちらが正しいかは不明である。当時の中里音楽事務所と、現在の中里音楽事務所が仮に同じものだとしたら、同事務所のネット情報を見る限り完全な演歌歌手の事務所である。過去の歴史的な記載がないのでよくわからない点は多いが。(現在、中里音楽事務所に問い合わせ中)

本格的デビュー前のこの時期、何があったのでしょう。そして渡辺プロ・CBSソニー最大手との契約までの経緯。知る人ぞ知る世界なのでしょうか。

国立音楽学校3月卒業を待ってすぐに中里音楽事務所と契約なら「天地真理スタートは1970年4月」なのか?という部分が少し見えてきていない所です。

天地真理デビュー前夜祭は彼女にとって目まぐるしい変化の1970年で有ることは間違い無さそうです。

2019.6.24 momocya

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永遠のアイドル天地真理に想う➋

撮影/篠山紀信

1970年代の芸能界・テレビ界は全盛期で歌番組も多くその他のバラエティー番組でもアイドル歌手がゲスト出演してヒット曲を歌うコーナーが有ったものです。

人気者ともなれば放送局から放送局その合間に雑誌取材・ラジオ出演さらに、地方公演やCM撮影など尋常じゃない超超ハードスケジュールの毎日が続きます。

忙しい毎日は「充実している」って感じる暇も無いほど忙しい時間を過ごしていたので後に振り返った時にやっと実感するものではなかったかと思います。

天地真理のデビュー当時既に人気のあったアイドルが、岡崎友紀・吉沢京子・小柳ルミ子・南沙織などです。

TBSドラマ「おくさまは18歳」より

岡崎友紀・吉沢京子の二人は歌手に軸足は置かず女優中心の活動であった、歌手活動上大ヒットにつながる作品はなかった。岡崎友紀の場合の人気絶頂時のオリコン最上位曲は「私は忘れない」(1972年10月発売)でやっと21位、この事からも女優中心と言われるのだと思う。

新・三人娘

小柳ルミ子の歌手デビューが1971年4月25日、南沙織は1971年6月1日。天地真理は1971年10月1日。実質、真理ちゃんの場合はTBSドラマ「水曜劇場・時間ですよ」第2部の放送開始1971年7月21日であることから同年7月21日からテレビに登場したことになる。所属のCBSソニーとは同年4月にレコード専属契約をすでに果たしている。(渡辺プロとの契約は前年の1970年12月に契約の内定がなされていた)

1971年を振り返ると、4月:小柳ルミ子歌手デビュー→6月:南沙織歌手デビュ→7月:天地真理テレビデビュー。1971年は芸能界・歌謡界に大きな変化をもたらす目まぐるしい状況が伺える。小柳ルミ子の場合デビュー曲は1971年年間売上1位を獲得している。オリコン1位獲得の曲数では、天地真理=5曲・小柳ルミ子=4曲・南沙織=0曲。1973年に至っては真理ちゃんのレコード売上枚数が、小柳ルミ子の枚数を上まる結果となり人気のピークを迎える。

数字からわかること。実質ライバルは小柳ルミ子以外居ない事がわかる。南沙織の場合一人だけ渡辺プロ所属ではない部分のブロモーション力の差がレコード売上枚数に現れている。最も売れた曲がデビュー曲の「17才」の51万枚で、その後デビュー曲に近い売上の曲は生まれなかった。

恵まれた環境の天地真理は順風満帆であった。しかしレコードデビューの遅さが各局の賞レースに出遅れる結果につながってしまった。

「日本レコード大賞」の選考期間は「前年の11月~本年の10月にデビューした歌手」と 規定があるようだ。同じ土俵に早くデビューの小柳・南の有利は当然である。あえてこの選考期間を考えた場合11月1日デビューの方が良かったのではあるまいか。10月1日ではギリギリ過ぎてレコードの売上が目立たない事になるのは必至である。仮に11月1日発売であった場合「レコ大」の1972年最優秀新人賞は、麻丘めぐみだったことから、最優秀新人賞はおそらく天地真理に成ったことは間違いない。

1973年の天地真理の活躍はピークをむかえ、レコ大においては「大衆賞」を受賞している。この年の売上枚数1位・2位がぴんからトリオの2曲が締めており1位・2位の売上枚数の合計が265万枚、レコード大賞の、ちあきなおみ「喝采」が62万枚。真理ちゃんの1973年に出した3枚の合計が143万枚。1曲あたりの枚数のトップはぴんからトリオの「女のみち」181万枚。したがって1曲あたりの枚数では181万枚対50万枚(「恋する夏の日」)。

歌手別合計枚数でもぴんからトリオ2曲合計265万枚対天地真理3曲合計143万枚と遠くおよばない。でも、ちあきなおみ「喝采」が62万枚で「大賞」を受賞した結果は誰ば見ても不可解である。当然この年1973年の「大賞」はぴんからトリオの「女のみち」だ妥当なのだが。

この分析をする前までは1973年のレコ大「大賞」は天地真理と確信していたがこの数字という真実を見ると仕方ないような気がした。しかし「喝采」の受賞に関しては疑問が残る。

明星」記事より

次に1973年「歌謡大賞」の分析である。大賞は沢田研二の「危険なふたり」参考までレコード売上では5位の62万枚。1971年の新人賞にも選ばれてはいない。

小柳ルミ子の場合は1971年新人賞、翌1972年大賞。演歌の強味なんだろうか。

このことから天地真理は賞レースには恵まれていなかったことが良く分かる。時代の背景がそうさせたのか。アイドル故に…。後の大賞受賞者や新人賞受賞者の顔ぶれを見る限り1971年~1973年ほど実力ある顔ぶれの年はそうは無い。その後との比較は酷ではあるが最も激戦時代がこの頃ではなかったであろうか。

話は違うが歴史に残る事って微妙な価値観もあってなんとも言い難い。「SMAP」の場合は賞レース自体辞退しているのでとかく賞、に関しては歴史存在しない。

辞退もせずに活躍した1973年、選考期間でありながら新人賞を受賞できなかった1972年この何とも言えない事実に真実が見えてこない。

2019.6.22 momocya

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今こそ、世界に向けて。

「天地真理 想い出の足音」は本日より「翻訳」機能を追加いたしました。(パソコン用サイトのみ)

旧サイト開始時の2003年当初世界の皆様とコミュニケーションが取れていたかは確認の方法がなかったため不明でした。

現代のサイト管理においては世界のどこの方々に御覧頂いてるかが、一刻一刻入電してまいります。日本の皆様以外でも海外からも多くの皆様に御覧頂いており、この翻訳機能によりなお一層、ご訪問いただけると有り難いと思っております。

これからも「天地真理 想い出の足音」をよろしくお願い致します。

2019.6.15 momocya

ときめかない今の音楽界に…

皆さんは如何でしょう?最近の音楽って心に残りますか?

私だけならごめんなさい。ここ数十年本当に「良いな!」と言う曲に出逢ったことが無いのです。あの頃は多くの曲に共感して「良いメロディ」「キレイな歌詞」と言った曲が多く存在していたと思うのです。

単に最近の曲って、リズム・応援歌・話し言葉の羅列・意味不明の言語…。ぼやきだしたらキリが無くなります。それらに共感が持てないわけではありませんが、何にもときめかないのです。

私たちの時代の作詞家・作曲家がお亡くなりになったとか、ほぼほぼ作品作らなく成ったとかで世の中が完全に変わりきった感がアリアリです。

ご健在の森田公一先生や、筒美京平先生作品は書いてないようですし。そんな事からしてこんな気持にさせるのですね。

1973年のこの季節テレビ・ラジオには「若葉のささやき」が毎日のように放送されていた。あのときめきの年は特別な年だったのです。あのときめきを感じた時は二度と訪れはしないのでしょうか。曲良し・歌詞良し・編曲良し・当然、真理ちゃんよし!

私は思うのです。何十年もたった今でもこの季節の緑の木々、青空、空気感、季節の暖かさ、その総てが体を通じて一瞬にしてあの頃へと連れ戻どされる感覚。

素晴らしい曲との出会い、素晴らしい歌手との出会いが私の一生の宝もの。

若葉の町をひとり歩きならら2019年6月に想う。

2019.6.15 momocya

閲覧3,000件ありがとうございます。

「天地真理 想い出の足音」閲覧数本日3,000件を達成いたしました。

全ては訪問者の皆様のおかげでございます。日本国内はもとより引き続き海外からの皆様にもご訪問いただいており感謝に致します。

1970年代情報発信手段は一部の特権者だけの物でしたが、現代はインターネットを中心にする多種多様なSNS、ホームページ、ブログ等で誰もが公平に情報発信が可能になり世界の中の人々に同時情報伝達が出来るようになりやりがいを感じる今日この頃でございます。

引き続き「天地真理 想い出の足音」をよろしくお願いいたします。

2019.6.13 momocya

FM放送の喜びの日々を振り返り

私の場合地方で生活をしていたため今では当たり前の民放FM放送は未だ無くNHK-FMのみだった。

しかし当時としては音質の良いFM放送はありがたい存在であった。

「昼の歌謡曲」という番組を覚えているでしょうか。地方の人にとってはお昼のこの番組と、ローカル枠では各局が18:00台に歌謡曲などを放送している番組があった。私の住んでいた新潟では「ミュージックポスト」と言うタイトルであった。(新潟放送の同タイトル番組とは別)

特に昼の歌謡曲では、天地真理さんがゲスト出演している回もあり良質な音質でのエアーチェックには最適であった。主にアルバムが発売されたりすると、ほぼ全曲を放送していた。しかも曲も短縮ではなくそのまま放送していた。MCの言葉もほとんど曲にかぶらず放送され、初めにMCが3曲ほどのタイトルを読み上げ曲が流れる。曲明けに、今流れた曲名をもう一度読み上げると言う丁寧な作り方だった。

今の音楽番組はトークが長く曲の放送時間が短い場合も多く見受けられる。この時代のNHK-FMの特徴といえる。

関東の方はFM東京(TOKYO-FM)の「歌謡バラエティー」が思い浮かぶことだろう。天地真理さんも何度か出演されていて、スタジオがガラス越のこともあり多くのファンが押しかけている様子を話す回の放送を思い出す。

今は何もかもあふれている時代で、音楽の視聴方法も多様化し有料、無料補含め目移り数るほどのコンテンツに囲まれている状態である。あの頃FM放送の音質でさえ満足していたが今は遥かに高音質の音楽が聴ける恵まれた時代となった。

2019.6.12 momocya

未公開テレビ映像への期待と夢

1971年頃のテレビの歌番組は黄金時代であった。NTVでは「NTV紅白歌のベストテン」(1969-1981)・TBSは「ロッテ歌のアルバム」(1958-1979)・フジテレビは「夜のヒットスタジオ」(1969-1990)・NET(現テレビ朝日)は「ベスト30歌謡曲」(1972-1976)どの番組も真理ちゃんは常連だった。(今では記憶が薄い)

ベスト30歌謡曲以外は真理ちゃんデビュー前から存在していた番組で、おそらく真理ちゃんの初登場の場面があったのです。しかし今日に至るまでその映像はおろか出演シーンの放送は見た記憶はない。夜ヒットに関しては「愛のアルバム」(1975)以降の再放送がCSにて放送されていたようだ。

古い放送での例外が存在する。所属事務所が最大手の大企業であった事で高額なビデオテープでも録画実施していた「渡辺プロダクション」の存在がそれである。人気者の多くは渡辺プロ所属のためテレビ局は渡辺プロに大きく依存していた頃である。そのため同事務所の制作番組も有りその番組は1970年ごろから存在しているようだ。

ナベプロ制作番組の代表定番組は国民的人気番組のTBS「8時だヨ!全員集合」・TBS「8時だヨ!出発進行」・TBS「笑って!笑って60分」・NTV「日曜日だヨ!ドリフターズ」・フジテレビ「クイズ・ドレミファドン!」などがそれで、全員集合においては、かなり古い放送分の再放送も実施されている事実がある。おそらく局になくてもナベプロには有るのではないであろうか。

VTRが残されていない理由は、現代では当たり前のビデオ保存がテープが高価であったり、生放送がほとんどで放送して終わりでその後の2次利用まで考えられていなかったことが原因のようだ。

前ブログにも記したがUマチックビデオが1971年真理ちゃんデビュー時に高価ではあったが発売されていおり、国民的アイドルNo1の天地真理の録画を日本全国で誰一人居ないとはどう考えてもありえないと私は思っている。そこそこ売れた人ではないのだからデビュー当初から人気者に浮上する勢いは相当のものであったと思われるので誰一録画していないはずがない。

なぜ日の目を見ないのでしょうか?テープの状態が極めて悪いとか?テープ所有者が高齢で動画投稿サイトへの投稿の方法がわからないとか、面倒とか、自分だけの宝で不特定多数の者に見せるのがもったいないとか…。

いずれにしても放送局は放送する気が無さそうだし、真理ちゃんシリーズの商品化もデビューの節目の記念日に出す企画CDに少しづつ公開しているだけである。

ほぼ全話の現存は間違いないと確信する私にしては、この小出しの発売方法に無念さが半端ではない。購入者数が少数で高額な商品に成る可能性は高いが商業ベースに乗る販売価格を設定し。目標予約数に達した場合は発売すると言う方法で予約を募ってみたらどうだろうか。

ゲスト出演者の同意を取る作業が困難を極めるなど面倒な作業があるので利益を考えた場合、発売元が踏み切れないのであろう。

でも諦めるわけには行かないのだ。我々には残された時間があまり無いのだ。真理ちゃんシリーズBOX発売の気運を高め、この気持を発信することが大事ではないだろうか。夢を夢で終わらせないために、今こそ!

2019.6.12 momocya

もどかしい、録音時代のテレビ

1971年頃、我が家にはラジカセも無かった。テレビで真理ちゃんに気づいたのは1973年この頃に成っても録音できる機器は無かった。学習用のシート式録音可能なリコーの「マイティチャー」(1枚のシートで3分ほどの録音が可能)でテレビに向かってマイクで真理ちゃんの「若葉のささやき」を録音した記憶がある。

今思えば、考えられない不住な録音装置である。この頃はテレビのボリューム調整しながらマイクで録音出来た。ステレオ録音でも無い音質も悪い音を聴き満足していたことを思い出す。

やがて親にせがみビクターのラジカセTV(ルポセルラTV)を買ってもらった。品名にTVと有っても、TVは音声チューナーが内蔵させていてラジオ同様に録音できるラジカセTVなのである。少し前はマイクでテレビの音を直接拾っていたのだから画期的な進化である。その録音は一部YouTubeにもアップしているが、今思えば映像のないテレビの音声のみの、映像は想像するしか無いのだ。

前ブログにも書いたがビデオデッキはこの時期、高価では有ったが既に発売されていたのだから一部のブルジョワの人は録画できたのであろう。庶民、子供にとってはラジカセであれど買ってもらえたのだから恵まれた方だと今は思える。

当時の「真理ちゃんシリーズ」の録音は一部残っているが、小学生の自分がカセットテープを多く購入できるわけもなく、録音もテープ節約のため本編はほぼ録音せず歌の部分が主に録音させている。

真理ちゃんの特集番組の録音に夢中になっている時代である。TBS「セキスイハウスみんなで歌おう」番組ではワンマンショー、ゲスト歌手二人でのジョイントショーを展開していた。真理ちゃんの場合3回の出演と記憶している。ほかも幾つかのテレビ録音をしたがあまり残っては居ない。

馬鹿の一つ覚えのごとく私は繰り返す。真理ちゃんシリーズのDVDーBOXの発売を何時か実現したいと。かなりの確率で全話がTBSもしくは渡辺プロダクションに残って居ることであろうから。

2019.6.11 momocya